百十三万体の遺骨を見捨てた厚労省

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百十三万体の遺骨を見捨てた厚労省

『WiLL』編集部(以下、編集部)

東條さんは以前から熱心に遺骨調査、収集活動をされていましたが、野口さんも最近、はじめられたそうですね。

野口

二〇〇八年に、「空援隊」というNPO法人に参加してフィリピンでの遺骨調査をはじめました。この団体はセブ島に事務所を置き、日本からも毎月のように調査に行っているんです。

編集部

きっかけは何だったんですか。

野口

外交官だった父の仕事の関係で、小さいころから海外にいることが多かったんです。父がオーストラリアに赴任しているとき、カウラという捕虜収容所で毎年慰霊祭が行なわれていた。あるとき慰霊祭についていくと、そこにある日本人の基には「織田信長」とか「豊臣秀吉」と歴史上の人物の名前が刻んであるんです。どういうことなのか不思議に思って父に聞いてみると、捕虜になった日本人はそのことを恥に思って本名を名乗らずに、歴史上の人物の名前を名乗っていたということでした。彼らは最終的には脱走を図ってほとんどが撃ち殺されたんです。殺されるために脱走したともいわれています。これは十九歳のころに聞いた話ですが、非常に強く印象に残っていたんです。

また、私の祖父が戦時中は参謀だったのですが、インパール作戦のときに部下を相当亡くしたそうです。おじいちやん子だったのでよく話を聞いていたのですが、長生きだった祖父は最後まで「部下をあんなに亡くしていながら、自分はこんなに長生きをして、孫にまで恵まれて、本当にこれでいいのか」とずっと悔やんでいた。そのことも頭にありました。

そして山岳会の先輩だった橋本龍太郎さんといろいろなおつき合いがあつたのですが、橋本さんは遺族会の会長をされていたことがあり、若いときには遺骨収集にも携わっていたそうです。「じつはまだ遺骨はたくさんある。日本の政府は厚生省(現厚労省)に予算をつけなければ」とよくいつていたのが、頭の中にずっとあつたんです。

東條

そういう背景があったんですね。本当にまだたくさんの遺骨が放っておかれているんです。

野口

思い切ってはじめようと考えたきつかけは、二〇〇五年にヒマラヤに登ったときに最終キャンプ地点で、悪天候で閉じ込められてしまつたときのことです。小さいテントで酸素ボンベも残りわずかで、あと一日下山できない天候が続けば、そこで死ぬだろうという状況になった。

「やってしまった」と思いました。「ここで死ぬんだ」ということを強く意識して、死を迎える準備をしたんです。テントの中で家族へのメッセージを書いた。紙が足りなくなって、マットやテントの天丼にも書きました。

エベレストの頭上付近には冷凍状態の、ほかの登山者の遺体がゴロゴロしているんですが、「俺が死んだら誰か見つけて連れて帰ってくれるかな。こんなところにいるのはイヤだな」と思ったんです。

私は登山という自分の趣味だから、たとえ死んだとしても自己責任ですが、それでもやっばり日本へ帰りたいな、と思ったんです。戦争で亡くなられた方は自分の意思ではありません。死を意識してから、死ぬまでのしばしの間、彼らは何を思っていたんだろうか、最後の最後には「天皇陛下万歳」ではなく、とにかく日本に帰りたいと思っていただろう、父や母や兄弟、妻子に一日でも会いたいと思っただろうと、テントの中でずっと考えていたんです。

そこで携帯電話で八〇〇〇メートルの山の上からマネージャーに電話をして「もしこれで生還できたら、次のテーマとして遺骨収集をやらなければならない」と話したんです。

■洞窟に二、三〇〇体の遺骨が

東條

私が遺骨調査、収集活動をはじめたのは、平成八年です。私の事務所にアメリカの元海兵隊の方々から「パラオには日本兵の骨がたくさんみるのに、どうしてほったらかしにしているんだ」と連絡が入りました。アメリカの場合はチームをつくって遺骨収集をしていますから、日本兵の遺骨が累々と打ち捨てられているのを見て不思議に思ったのでしょう。アメリカの方に「手伝ってください」といわれたことが恥ずかしくて……。

手伝うどころか、自分たちの手でやらなければならないと思い、パラオでの遺骨収集に携わるようになりました。

野ロ

フィリピンは一〇カ所くらい行きましたが、海岸近くの洞窟の中に遺骨がある場合が多いんです。部隊が米兵の攻撃を受けてバラバラになると、味方の船が来たらなんとかなると考えてか、海岸近くの洞窟に逃げ込んだようです。最後の最後まで帰りたかったんだと思います。

洞窟の中は壮絶です。先日発見した場所はセブ島で、観光地の真横でしたが二、三〇〇体の遺骨がありました。骨を踏まなければ歩けないほどです。骨の状態で亡くなり方まで 分かるんですよね。何人かの骨がバラバラになっているものは集団自決をして爆死された方でしょうし、病死の方はきれいな骨をしています。

東條

拳銃で自決された方の頭蓋骨には穴が二つ開いて、貫通しているんです。ある洞窟では、一〇人ほどが集団自決した跡がありました。洞窟を掘ったスコップを背にして骨があったり、青酸カリなどの薬品のビンが転がっていたり。そこで頭蓋骨にちょっとずれてメガネがかけられていたのを見たときには、あまりにもリアルでいいようのない気持ちになりました。

靴から骨が出ていて、その靴が壁に張りついているものもありました。この兵隊さんはどんな思いで壁に足を踏ん張って亡くなっていったのか、どれだけ淋しくてつらかつたかと思います。「ごめんなさいね」といいながらそつと靴から骨をはずすと、その靴がポロッと壁から落ちたんですよ。五十年以上も張りついていた靴が……。もう思いだけでくっついていたんだと思うとたまらないものがありました。

■コブラに噛まれたら終わり

野口

兵隊さんたちは敵兵や、終戦後はゲリラから隠れるために逃げ込んでいるので、ジャングルの中だったり、険しい場所の洞窟の中にある。だから荒らされずにまだちやんと残っているんですよね。フイリピンの場合はセブ島の、さらに奥まで行くので移動だけでも大変です。しかも治安が悪くて、グリラがいる。

私たちも武装したガードマンを雇って、モトクロス並みのオートバイで現地に向かうのですが、ゲリラが連絡を取り合って追いかけてくる可能性があるので、ものすごいスピードで行かなければなりません。

着いたら着いたで、がけを登って入るような洞窟だったりする。「野口さんは登山家なんだから大文夫でしょう」といわれてギリギリのところを登る。落ちればアウトですし、中にはコブラがいる。洞窟の中は暗いですから、目が慣れるまでは見えません。噛まれたら終わりですよ。暗くなるとゲリラも増えるし、マラリアの蚊もわいてくる。山で死ななくてもこっちで死ぬかもしれない。

東條

パラオでも遺骨は危険な場所にあって、アメリカの元海兵隊の方々が、まさに命懸けで手伝ってくれます。ちょっとバランスを崩したら転げ落ちるようなところを先導してくれますし、グアムから来た方も一緒に洞窟まで潜ってくれました。「敵兵であろうとも、お国のために戦ったんじゃないか」と、非常に熱い思いを持っているんです。

野口

実際現場に行くと、非常に強い思いに駆られます。調査しても私たちは持って帰ることができないので、そのまま洞窟をあとにするのですが、そのときに「お前も帰っちゃうのか」という無念の思いを強く感じました。私はまったく霊感なんてないほうなんですが、思わず声に出して「すみません、必ず政府が迎えに来ますから」と詫びて帰ってきました。

編集部

地元の人でも分からないような場所を探し当てるのは大変でしょうね。

野口

当時のことを知っている方々に聞くのですが、どんどん高齢化して亡くなってしまうことを考えると、もう残り時間があまりない。あと五年くらいかなと思っています。しかもその情報もガセネタだったりすることがある。「骨がある」というので行ってみると子供の骨がぽつんとあったり、大の骨を置いていたりする。

だから厚労省の人が毎回来られないのは仕方がないところもあるので、調査して間違いないと分かった場合に来てくれるか、私たちNPOが遺骨を収集して日本に持ち帰ることを許可してくれればいいんです。

■死者に冷たい日本政府

編集部

アメリカは遺骨収集に熱心ですね。

東條

アメリカは軍の組織の中に遺骨収集専門のチームがあり、司令部もあって、鑑定士や医者、人類学者も加わっています。収集専用の船で南洋諸島を何力月も回っているんです。きちんとした司令官がいて、別の部隊から海兵隊員が手伝いを申し出て参加するシステムになっています。そのため、いまでもとくに海兵隊では「遺体になっても必ず祖国へ戻す」という意識は非常に強いんだそうです。

編集部

日本の場合、国家事業としての遺骨調査、収集はすでに打ち切りになっています。

東條

厚生省(現厚労省)の遺骨収集は昭和二十七年からはじまつて、第二次遺骨収集が終わった昭和四十八年ごろ打ち切りになりました。現在でも一応、確実な情報があれば収集に行きますし、一年に一度は沖縄で厚労省主催の遺骨収集をやっています。

しかしこれには問題があって、国家から日本遺族会に出るお金の中から、一部厚労省ヘ渡り、参加者へお金が配られているようなんです。

どういうことかというと、私は三度、参加したのですが、沖縄では午前と午後合わせて四時間弱しか実際の収集をやらなかったんです。移動や食事の時間に多くを費やし、遺骨もほとんどなくて、歯や頭蓋骨の一部、破片などを集めて「四柱集めた」なんてやっている。

沖縄までやってきてたったこれだけかと思うととても情けなかった。作業終了後に厚労省の方から「日本遺族会」と書かれた封筒に入れられたお金を手渡されました。中を見てみると、七万円も入っているんです。私は格安の航空チケットで、格安のホテルに泊まっていたので余るくらいの金額でした。

もらうわけにはいかないので「返します」といったのですが、「通常の航空券代や宿泊料で計算すると大体これくらいになるので、返されても困ります」といわれたんです。二〇〇人近くが参加していましたから、いつたいいくらかかつたのか。もっとたくさん遺骨があるところが海外にいくらでもあるのに、なんともったいないんだろうと泣きたくなるような思いでいっぱいでした。

そして、現地の人にはお金が出なかったので、三人で分けたんですが、翌年参加すると、そのときは現地の人もお金をもらつていたので「どうして?」と聞いたら、「沖縄以外の人にはお金が出るから、住所を別のところにして申請した」というんです。沖縄の人には申し訳ないんですが、そういういろいろなことがイヤになってしまって、それから参加するのをやめました。

毎年この遺骨収集は二、二月の年度末に行なわれるんです。予算合わせと、「やってます」というための、単なるセレモニーとして行なわれているように思えてなりません。

編集部

やり切れませんね。

野口

それ以外に厚労省が動くのは、NPOなどの調査報告によつて「たしかにそこに遺骨がある」という情報があつたときだけです。こちらが騒いではじめて、やっと「仕方ないな」と腰を上げるという感じです。

■一体で五柱?

編集部

いまだにそれだけの遺骨があるという報告があるのに、厚労省はなぜ打ち切ったんでしょうか。

東條

厚労省は骨を数えるときに、頭蓋骨一個で一柱、両腕で二柱、両足で二柱と数えるんです。となると一人分で五柱になってしまうから、あつという間に予定数に達したということなんでしょう。

野口

まるで数字合わせですよね。

東條

そうなんです。だから打ち切りになったことに怒った民間の団体が、直後から活動をはじめたのですが、遺骨調査はできても、日本への持ち帰りは民間は許されないんです。

南洋諸島だけでも一一三万柱あることは分かっているし、実際調査に行って、洞窟にある骨が遺留品や状況から日本兵の遺骨だと分かっても、民間はそれを持って帰ることはできません。とにかくその部分は「厚労省の管轄だから」という。

それどころか、厚労省が「遺骨収集は終わった」としているところへ「まだここにもあるぞ」という情報が来ると困るのか、民間の活動の邪魔をしたり、向こうの大使館に「活動させないように」と連絡を入れることさえあるんです。

野口

厚労省に「一緒に調査に行きましょう」といつても来てくれません。何度呼びかけてもダメです。聞けば担当者の数がものすごく少ないといっていましたが、力を入れていないということですよね。

■「いっさい関わりたくない」

編集部

厚労省の遺骨収集担当者はわずか二〇人。アメリカは四〇〇入以上いるそうです。

野口

厚労省だけではなく、外務省管轄の現地の大使館もあまり協力的ではない。「この件に関してはいつさい関わりたくない」とはっきりいわれたこともあります。

どうして外務省がそんなに冷たいのか。父に聞いてみたところ、一つには侵略した側の骨であることがネックになっている。侵略された側の国へ入っていつて、侵略した側の兵士の骨を集めるというのが、外交的に難しいと外務省はいうそうです。

しかしアメリカはベトナムでも朝鮮でも遺骨収集を継続しているし、むしろ遺骨収集活動をしない国は世界で軽蔑される。父は現役時代に「もつと力を入れてやるべきだ」と進言したそうですが、大きな組織なのでなかなか通らなかった。だから、いまの私の活動については「お前がやってくれて嬉しい」と応援してくれています。

もう一つは、管轄の問題で、現場は外務省の管轄、骨は厚労省の管轄という点です。三つの管理部分が重なったところの話なので、連携がとれずに押しつけ合っている。たつたこれしきのことで、国のために亡くなった方々の遺骨を持ち帰れずにいる。後進国ならば仕方がないかもしれませんが、国のために死んだ人にこんなにも冷たい国は、先進国では日本以外ありません。

東條

現地の方々は必ずしも非協力的ではないのですが、厚労省から向こうの大使館ヘ「活動させないように」と連絡が入ることもあるようです。

事実、私たちがパラオで活動しようとしたら「骨に触ったら逮捕する」といわれたこともあるくらいです。そして何より問題なのは、遺骨調査が現地の人々にとつて一種の商売になってしまつていることです。自分がこれからも関わっていくのであえて島の名前は出しませんが、あるところでは骨を売買し、情報を売り物にしているんです。

野口

情報提供するといって金をとり、案内されて行ってみると動物の骨が撒いてあることもありますからね。

東條

お金次第で骨のある洞窟を案内してくれたり、立ち入り禁上にされたりする。私たちNPOはお金がないので、洞窟までのガイドを安く雇うのですが、厚労省が行くと一日六〇〇ドルも出す。

こうなると現地の人々はなんとしても厚労省を呼びたいわけです。地元の人との交渉や関係の構築を怠って、いわれるままに金を払ってしまうから、彼らは味を占めてしまった。厚労省が悪い"クセ"をつけてしまったんですよ。

厚労省には骨のある場所を一覧にして地図までつけてフアックスで送っている。しかもその骨は、納骨堂から盗んで隠しているものだったりするんです。そこまでやる。これは元海兵隊の方々がたまたま慰霊に訪れたときに発覚したのですが、盗難現場をビデオに撮ってあります。

厚労省に連絡が入ると、まず日本青年遺骨収集団や日本遺族会などが赴きます。そのときには「調査だけ」といわれて、写真を撮って帰ってくる。調査の結果、日本兵のものだということになると、改めて厚労省が本隊を送り込んでくる。彼らはそれによって三度ガイド料をとれるんです。

■「日本人が迎えに来たよ」

野ロ

ゴロツキみたいなのがいるんですよね。もちろんそうでない方もたくさんいて、私がセブ島で会ったイサベルさんは、戦争中に日本兵に家を接収されたそうです。彼は当時子供で、親と一緒に近くの小屋に移り住んだのですが、そのときにオリガサという日本兵と仲良くなった。しかし通信基地になっていた自宅ごとアメリカの空爆を受け、日本兵はみんな死んでしまった。それから彼はずっとその家の下に埋まっている骨を掘りつづけているんです。イサベルさん自身も歳をとっていて、細腕で日本兵の骨をこつこつと掘りつづけている姿は壮絶でした。

イサベルさんは私たちが日本からやつてきたのを見て、当然どの骨がオリガサさんなのかは分からないのですが「オリガサ、日本人がやっと迎えに来たよ」と嬉しそうに骨に話しかけているんです。でも私たちはその骨を持って帰れないことを説明すると、彼は「どうしてだ」と不思議がる。当然ですよね。

東條

パラオの大統領やトップの方々は非常に協力的ですし、海兵隊と一緒に来た方でお父様をパラオで亡くされた方などは、「これまで東條英機を怨みに思っていたけれど、あなたが遺骨を拾う姿を見て、怨む気持ちは一気に晴れました」といってくださつた。ところが何より悲しいのは、向こうへ住み着いた日本人が現地の人間と組んで、詐欺まがいのことをやりつづけていたことです。

それは厚労省が現地で法外なガイド料を払うことや、NPOに遺骨の持ち帰りを認めないことにも問題があるんです。そこで厚労省に何度も手紙を出し、NPOに業務委託をするようにお願いしているのですが、絶対にしないと言い張る。死亡診断書を書かないといけないとか、いろいろ理由づけしていますが、結局は「民間が余計なことをするんじやない」ってことなんでしょう。

編集部

国としてやるべきことをやらないで、よくそういうことがいえる。国同士で交渉するわけにはいかないんでしょうか。

東條

厚労省に訴えましたが、「国同士で交渉すると、ODAを求めてくるから難しい」といわれてナシのつぶてです。たしかに外交では失敗続きで、相手のいわれるままに要求をかなえても、結局自由に調査をさせてくれなかったりするんです。いまも庁舎が欲しいと条件を出してきていますので、「その代わり五年間は自由に調査。収集をやらせてくれ」と交渉してゆけばいいと思っています。

野口

う―ん、本当はそれも変な話なんだけどなあ。

東條

変な話なんですが、国が表立って出て行くと、余計に大きなものを要求されることになるんですよ。

野口

だからこそ民間をうまく使うべきなんですよね。

編集部

しかし、まだたくさんの遺骨が日本に帰れないまま放置されているという現状は、なかなか知られていませんね。

■国を動かすのは世論

野口

そこが問題なので、これからは若い学生を遺骨調査に連れて行こうと思っています。僕らは戦争を知らないからどうしても理屈で考えてしまうし、勉強したとしても、それは知識でしかありません。実際、二、三十代にこうでつ話をしても、きょとんとしている。

しかし現場に行って、放置されている遺骨を見れば違う受け取り方をしますし、「やらなきゃいけない」という思いが強くなります。

東條

そうですね。私もおじいさんに連れられてきた若い子たちとともに活動したことがありますが、最初は「なんで俺が」とイヤイヤだったんです。しかしやり終えるころには「本当にいい経験をさせてもらいました」と、気持ちが大きく変化しました。

野口

厚労省を動かすには、世論の高まりが必要です。そのためにはもつとマスコミに取材してもらいたいのですが、なかなかそうはいかない。お願いしても、書いてくれたのは『産経新聞』くらい。

その理由の一つには、先ほど父の話として出てきましたが、やはり侵略した側であるということから、書きづらいということになる。

最近、環境問題について学校で講演する機会があるのですが、その話の中で話題の一つとして遺骨収集の問題にも触れるんです。すると、大方の学校では先生から「あの話はしてほしくなかった」といわれます。

ある人から聞いた話では、学校で記録映画を上映したとき、特攻隊の飛行機が撃墜されたシーンで拍手が聞こえたことがあった。振り返ってみると先生たちが拍手していたというんです。学校ではそういう教え方をしているんですね。

だから私が遺骨収集に行くことを、周りの人たちの中には「イメージがよくない」と上める人も多かった。どうも偏ったイメージで見られています。

東條

NPOがはじまったころ、右翼というか、ヤクザまがいの人たちが遺骨収集を掲げてたくさんNPOをつくったんです。厚労省はそのときのことがあるから、いまだに警戒しています。それでも一生懸命こちらから働きかけて、何度も手紙を出したり、直接会いに行って「私が一緒に行けばガイドに六〇〇ドルも払わせない。だからこれから絶対一緒にやりましょう。現地での相手方との交渉も、反故にはさせない」と説得して、国とNPOでタイアップしましょうといっているところです。

本来、国が認めた団体なのだから、骨を焼いて持って帰る権限があつてしかるべきなのです。そうなれば二度手間も省けるし、余計なお金もかかりません。

野口

国がやるべきことをやらないなら、「もうこっちでやっちやうよ」ってことですよね。国を動かすためには、メディアとタイアップして、若い人や政治家の方を現地に連れて行く。まずは現地に行って、現実を知ってもらうことがいちばんだと思います。

(『WiLL』[ワック株式会社]二〇〇八年九月号より)