大東亜会議を企画し、世界を独立に向けた日本。その日本の舵取りは、間違いなく東條英機が行いました。
天皇第一の臣下を自負し、責任を取ってA級戦犯として裁かれました。
しかし、意図的に隠された事実が多々あります。東條英機の孫、東條由布子はそれをすべて明らかにします!
東條由布子トップページ | 東條由布子および東條英機について
中央が祖父・東條英機。その右となりが英機の長男で、東條由布子の父、英隆。
「元始、女性は太陽であった」と女性の解放を掲げ参政権獲得に情熱を燃やした平塚雷鳥、そして「君死に給うことなかれ」と出陣する弟を想って歌った反戦の詩や、妻ある人を恋うる歌を明治の御世に堂々と世に出した与謝野晶子などと時を前後して、私の二人の祖母は九州の片田舎に生まれた。
母は20歳の春に、東条家に嫁ぎ、敗戦後の厳しい世間の目に耐えながら4人の子を育て上げ、今は12人の孫にも恵まれ平穏な余生を送っている。
母が48歳の時に父が亡くなり、嫁いだばかりの妹を除いて、私たち3人の兄妹は結婚前であり、弟は大学生だった。
なお東條家について詳しくは以下の拙著をご覧ください。