東條由布子からのメッセージ

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東條由布子からのメッセージ

六年前の挫折

 今回、参議院選挙に無所属で出馬することを決心いたしました。実はこのことは六年前の参院選の頃から考えていたことで、今回急に決めたことではありません。

 六年前、政界と私をつないでくれる方に「出馬しないか」というお話をいただきました。どの党でも口を利いてくれるということだったので、自由党にお願いすることにしました。小沢さんのことが好きだったことと、小沢さんの地元である岩手は、祖父東條英機の二代上をたどった玄祖父と曽祖父の郷土だったので、親近感を感じていたのです。

 そうは言っても、一度党首の小沢一郎さんに会わなければと思い、時間をとっていただいてお話をしました。「自由党から出馬するのであれば、党首の方が私のことをどうお考えか聞かないと立候補できません。もし『東條』という名前で出馬すると党にご迷惑がかかるようでしたら、岩浪の姓で出馬いたします」と言ったのです。

東條由布子

 すると小沢さんは「何をおっしゃっているんですか。もう五十年以上もたっています。『東條』という名前で堂々と出られてはどうですか」と言ってくれました。それが私はとても嬉しかったのです。

 出馬に当たって掲げる公約についても「私は福祉一本でも構いません」と言ったのですが、小沢さんは「福祉も防衛も、国民にとっては同じですよ」とおっしゃられ、私はとても心の広い人だな、と感じたのです。また、私の曽祖父の東條英教のことをよくご存知で、「郷土の先輩として尊敬しています」とおっしゃっていました。

 関東ブロックの比例でいかがですか、という話になり、とりあえず五十万名の署名を集めるように言われました。自民党は当時票とともに党費も必要だと言われたそうですけれど、自由党は署名だけ集めればよかったので、京都の八坂神社で出陣式を行なうところまでやったのです。

 ところが署名を集める前に出馬の話が漏れ、保守派のある学者が私を立候補させないように各方面へ働きかけたようなのです。理由は「万が一敗北すれば、こちらの陣営の敗北になるから」。

 私は本当に驚きました。人の人生にかかわることを、そんな風にしてしまうなんて……。結局そのときは話が流れてしまったのです。

無所属で遠慮せず

 それから三年後、また「政党と引き合わせますよ」というお話をいただき、私も前回の悔しさがあったので再度出馬に向けて動き始めました。そのときには小沢さんにお手紙を書き、再度お願いをしたのです。小沢さんからは速達でお返事をいただき、「事務局に推薦しました」との旨が書かれていました。

 事務局に連絡すると「検討する」とのことなので、一週間後に再度連絡をすると、「今回は泣いてください」と言われました。「その代わり次回は最優先で」と。

 小沢さんからは「僕は推薦しますが、今は党首ではないので、自由党の枠で推薦しましたが、選対の判断でどうなるかわかりませんので、よく相談してください」とのお手紙を頂きました。このときの選対委員長は社民党出身の赤松広隆氏でしたから、仕方なかったのでしょう。

 そして、今回。私も六十七歳になりましたから、これが人生最後の賭けだと思って自ら動きました。

 結果、自民党は「寝た子を起こしたくない」ということでダメ。国民新党からは「年齢制限」を理由に断られました。「党の若返りを目指しているので、三十、四十代を考えている」と。しかしふたを開けてみれば私より年上の方が公認候補になっていますから、言い訳に過ぎなかったのでしょう。

東條

分祀賛成と言えば公認

 そして小沢さんが党首となった民主党ですが、全国区の比例で出馬される県議会議員の方が引き合わせてくれるということになりました。その方に条件を聞かれたので「靖国神社から分祀はしない」と「いわゆる戦犯は犯罪者ではない」、「靖国問題に関する内政干渉には屈しない」ということを挙げました。

 すると、その方が「東條さんがここで分祀賛成と言えば、民主党は公認するし、一〇〇%当選するでしょう。霊璽簿から東條の名を削除することを了承いただけないと、公認の件はお受けできません」とのことでしたが、相談しますとのことでした。一週間後、種々検討の結果、駄目だったという返事でした。

 安倍首相とも、首相になる前にお話できそうな機会があり、とても誠実に対応していただいていたのですが、しかし今、私が自民党から出馬するとなれば安倍さんを苦しめることになるとも思い、今回は無所属で行くことに決めました。

 無所属であれば遠慮せずに自由に主張できます。「中国に配慮」なんて言っていたら、私の言いたいことは言えなくなってしまう。ただ、無所属の場合は全国区で出られないのです。

 私は全国で講演をしておりますし、東條英機を知っている人が日本中にいらっしゃって、熱い思いを頂いておりますから、全国区の方が都合がよかったのですが、仕方がありません。東京地方区で選挙戦を戦っていこうと思っております。

障害者への深い思い 

 先ほど六年前の小沢さんとのやりとりの中で「福祉一本でも」という話が出ましたが、私が国政に参加してやりたいことは、福祉が七割、遺骨収集や靖国問題など国の誇りにかかわることが三割、という配分です。

 私は明治学院大学社会福祉学科で障害者の福祉に関するゼミを取っていました。また、長く「ガイドヘルパー」をしていたため、障害者の方々への思いは深く、人生の七割近い期間を障害者の方に直接かかわる生活を送ってきました。

「ガイドヘルパー」と言ってもご存じないかもしれません。目の不自由な方をサポートし、外出時に介添えする仕事です。

 こんな経験がありました。ある目の不自由なご夫婦から「はと時計が鳴かなくなってしまったので、一緒に時計屋に行ってくれませんか」と言われたのです。「いいですよ」と、時計を袋に入れて下北沢の時計屋さんまで、一緒に持って行きました。

 お店に着き、台に載せて、時計の裏ぶたを開けた途端、なんと何十匹、何百匹ものゴキブリが、うわーっと一斉に走り出てきたのです。私が思わず声を上げそうになると、お店の方が口に手を当てて「シーッ」とやっている。言わなくていいです、と。

 ご夫妻を傷つけないようにとの、とっさのジェスチャーでした。しかも嫌がることなく、はと時計を見てくれたのです。調べてみると、はと時計が鳴かなくなった原因はゴキブリがプラスチックの歯車を齧ったからでした。

 その時計屋さんの対応を見て、なんて思いやりのある心の温かい人たちだろうと思い、私は思わず手を合わせました。それとともに、ご夫妻の生活にも思いを馳せました。

 彼らは劣悪な環境の中での生活を余儀なくされているのです。古い、汚いアパートで暮らしており、引越しをするにも「火を出されるのが怖い」との理由から、保証人を立てろと言われる。そこまで言うのなら、国が保証人にでもなるべきではないでしょうか。

 また、ある方は中国戦線で失明された方で、小児病院の先生をやっていました。この方と出かけ、お茶を飲み、お話をした後にお家まで送っていくんです。

 電気のついていない真っ暗の冬の寒い日に彼を送って、「さよなら」と言って、ドアを閉めるとき、何とも言えない悲しさを感じるのです。あぁ、彼を暗闇の中に閉じ込めるんだと思うと、ドアの閉まる冷たい音が、何とも辛かった。

 時には中に入って、「手紙を読んでほしい」と言われるのですが、彼は目が見えませんから、当然電気もつけません。私が「ごめんなさいね、電気をつけてもいいかしら」と言うと、相手も「ゴメン、ゴメンよ」と言ってくれる。そういうときに見える人と見えない人との間を隔てている大きなものを感じて、これもまた悲しさを覚える瞬間でした。

 障害を持っている人の中には、身内から厄介者扱いをされている人がいます。冠婚葬祭に自分だけ呼ばれず、後になって「誰々が死んだ」などと聞かされることが、とても寂しいと言っていました。

 今、公的機関による、介護にかける費用や時間は、少しずつ削られています。障害者の方が住んでいる公団などに行くと、扉に「あなたの時間を十五分だけください。トイレにも行けないのです」。これも、現場に行かなければ分かりません。国会議員に見てほしいですね。

 こんなところを削除するのなら、議員の給料を一割カットすれば済む話ではないでしょうか。しかも、ガイドヘルパーの資格も、すでに二年後にはなくなることが決まっています。

障害者用の保養所を

 障害者にまつわる諸問題を考えると、あらゆる場面で国の政策にかかわることばかりだと分かるのです。

 たとえば、ガイドヘルパーをしながら障害者の方々と一緒に歩き、話をし、生活にかかわっていく中で必要だと感じたのは、障害者専用の国の保養所です。健常者のための保養所はグリーンピアのように潰すほどある。しかし障害者専用の保養所はありません。

 目の不自由な方々は、家から出るのも難儀なのです。保養所を造り、そこから迎えのバスを出して、ヘルパーのいる施設でゆっくり休んでもらいたい。月に一度でも保養所でリフレッシュすれば、寝たきりの人を減らすことが出来ると思います。

 私は熱海にそのような保養所を造りたいと思い、土地を提供してくれる方も見つけて、旧厚生省へ請願に行きました。ところが対応した役人は「障害者専用の保養所なんて贅沢ですよ」と言い放ったのです。

「贅沢とはひどいじゃないですか」と言うと、「われわれは健常者も障害者も平等に扱っています。どうぞ健常者の保養所へお越し下さい」と言われました。こんなときだけ「平等」を持ち出してくるのです。これを聞いて、もう国に任せておいてはダメだ、と痛切に思いました。

 しかしこんなことを個人がいくら言っていても誰も耳を傾けてはくれません。役人の意識は、先のとおりです。さまざまなことに出会ううちに、国政の場に出て、こういう状況があることを知ってもらい、改善していきたいと思っているのです。 

血も涙もない行政

 私の母は七、八年前からアルツハイマーにかかって、徐々に進行しています。それが分かってから、私は母を介護するためにヘルパー二級の資格を取りました。

 ところが、さあ介護するぞ、というときになって、また国の法整備の壁にぶち当たりました。なんと、同じ家に住む家族をヘルパーとして介護しても介護報酬はもらえないというのです。

 問い合わせてみると、玄関が二つに分かれているか、道を隔てた向こう側に家があればいい、という。私と母は戸籍も違いますし、生計も別であると説明してもダメ。こんなにおかしいことがあるでしょうか。

 家族が最後まで介護するのが幸せであるのにもかかわらず、家が別でなければ認められないというのは、どういう理屈なのでしょうか。核家族を奨励しているようなものではないでしょうか。そこで世田谷区の福祉課や、東京都、厚生労働省にそれぞれ抗議の電話をした。

 すると「あなたが他の家へヘルパーとして出て行き、他のヘルパーに自宅へ来てもらえばいいじゃないか」などと、血も涙もないことを言われました。こんなバカな話があるでしょうか。

 こんな状況では、これからの高齢化社会にはとても対応できません。厚生労働省はやることが多すぎます。この省を分割し、「福祉省」を創設して専門的に対応していかないと、近い将来やってゆけなくなると思います。

 また、少年の問題もあります。私は半年の期間でしたが市原の少年院でカウンセラーをやっていました。

 そこで少年からこんな話を聞いたのです。

「先生、僕はせっかくここで生まれ変わって、髪の毛も黒く染めて、きちんと学生服を着て学校に行ったのに、校長先生から『お前は教室に入らなくていいから校長室でやれ』と言われた。それでもういいや、と思って、また不良に戻ったんだよ」

 そのとき校長先生が「よく戻ったね」とひとこと言っていれば、彼の人生も変わったのではないでしょうか。

 法務省は子供たちを更生させるのには熱心かも知れませんが、社会の受け皿のほうはあまり教育していません。せっかく生まれ変わった気持ちで出所しても、暖かく迎える気持ちもないし、働く場所もないのです。こんな状態で子供たちだけに「真面目になれ」と言っても状況はよくなりません。

 これも国の施策の責任です。たとえば少年たちを福祉施設で受け入れる体制を整えれば、お年寄りと接し、必要とされる中で奉仕の心や思いやりの心が芽生えます。

 私は自分のこれまでの経験から、これらを綱領としてあげさせていただきました。

堂々と靖国へ!

 残りの三割には、長年、私が携わってきた遺骨収集が含まれています。以前、アメリカ人から「旧戦地の兵の骨が散らばっているのに、なぜ日本人は収集しないのですか」と言われてとても申し訳なく、恥ずかしい思いをしました。是非手伝わせてください、と三十二名を編成して現地に行きました。

 学校の授業よりも実地の経験の方が大事だと、中学生のお孫さんを連れてきた方もいらっしゃいました。はじめは「どうしてこんなところに来なければならないのか」という態度だった子供たちも、十日間の日程を経た後では、気持ちのいい挨拶をして帰っていくように変わりました。

 遺骨収集の現場は壮絶です。手付かずの洞窟の中には、十名が自決され、五柱の遺骨がありました。メガネを掛けたままの遺骨、ヘルメットをかぶったままの遺骨、ウエストにベルトが残ったままの遺骨もありました。

 靴を履いたままの遺骨もありました。その靴が、壁に張り付いているのです。「ごめんなさいね」と言いながら、そっと足の骨を靴から外すと、その時に靴がポロッと壁から外れた。この方の思いが、それまで靴を貼り付けさせていたのでしょう。

 どんな思いで最後の叫びを上げ、援軍も食糧も来ない中で死んでいったのかと思ったら、胸が張り裂けそうになりました。子供たちもお骨を抱いて泣いていました。

 百二十六万柱の遺骨が旧戦場に放置されたままです。赤紙一枚で戦場へ送った兵士の方々に「必ず靖国にお祀りするから」と約束しておきながら、首相がお参りすることもせず背を向けている。日本は一体どんな国なのでしょうか。

 安倍さんも「国家のためになくなられた方々に対して慰霊の心と感謝の思いを捧げるのは当たり前だ」とおっしゃっているのなら、「行ったかどうかは明言しない」のではなく、「私は行きます」と言って堂々とお参りして欲しい。靖国神社はこそこそと行く場所ではありません。

 中国や韓国がとやかく言うのであれば、信念を堂々と述べられれば良いと思うのです。「あなた方の気持ちもよくわかりますが、靖国神社は先の大戦で亡くなられた方々をお祀りする大切な聖地です」と、私なら中国や韓国へ出向いてでも、はっきり述べます。

真摯な思いで戦う

 今回の出馬にあたり、家族には出馬を決めてから話をしました。決める前に話すのが当たり前でしょう、と娘に言われ、それは当然だと思っています。

 家族が反対した理由は、私が出馬することによって、周りの人に迷惑がかかるとのことでした。特に靖国問題や東京裁判史観などについては、当事者ですから言うべきでないということと、メディアは根掘り葉掘り詮索し、家族にも迷惑がかかるということ。

 そして、これだけ中国や韓国が騒いでいるときに、もし暴動が起こって誰かが怪我をしたり、亡くなったりしたら、どのように責任を取るつもりなのか、とまで言われました。

 家族の心配は重々わかります。私は自分がやったことの責任は全て自分が取ります。むろん、アルツハイマーの母のことも、療養中の主人のこともおろそかにはしません。

 私を支持したばかりにご迷惑をかけるわけにはいきません。最近のそのような風潮は悲しいです。ただ、お仕事によって影響がない方には、一部お名前を頂くかも知れません。尊いお名前を頂くかも知れません。尊い命を捧げて戦われた先人に対しても、真摯な思いで戦いたいと思います。