大東亜会議を企画し、世界を独立に向けた日本。その日本の舵取りは、間違いなく東條英機が行いました。
天皇第一の臣下を自負し、責任を取ってA級戦犯として裁かれました。
しかし、意図的に隠された事実が多々あります。東條英機の孫、東條由布子はそれをすべて明らかにします!
東條由布子トップページ | 東條由布子、あるいは東條家についての著作について
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このページは東條由布子の著作以外に、東條家に関連する書歴を紹介しています。
日本文化チャンネル桜で、放映されたものです。
あなたは、いわゆるA級戦犯、東條英機の実像を知っていますか?
東條英機は、戦後の歴史では、ヒットラーやムッソリーニとならんで批判されるが、真実は全く違う!その真実を明かす!!!
東條英機はこう言っています。
「断じて日本は侵略戦をしたのではありません、自衛戦争をしたのであります」
責任は天皇陛下にない!と、陛下の第一の臣下と自負する東條英機の宣誓供述書。
東條英機元首相はすべての責任を負い処刑台に登った。
「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」を家族に遺して。
その掟を解き、東條由布子が戦中戦後の東條家についてのすべてを明かす。
知られざる、歴史に隠された事実を通し、東條英機の全貌が見える。映画化(「プライド運命の瞬間」)の反響、出版後に寄せられた手紙等を新たに収録した増補改訂版です。
現代の碩学こと渡部昇一が語る、東條英機と東京裁判について
私がこの宣誓供述書に基づく昭和史を述べてみようという気になったのは、東條さんが、「大東亜戦争は、自存自衛の戦いだった」と主張してやまなかったからです。それだけなら、一つの自己主張ということで終わりですが、東京裁判をやらせた当のマッカーサーが、帰国後、上院の委員会で東條首相の主張を認め、次のように述べていることです。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security
戦後、誤解されることの多かった東條英機。その東條英機を特集!
別冊宝島 東條英機(全てを背負って死んだ男)の目次をご紹介いたします。
真実は、こんなにも違うものなのか!?連合国に隠された真の東條像が今明らかになる!
この本は、昭和38年の初版以来、平成10年までになんと27刷りを重ねるほどの超ロングセラーでした。しかし、出版社の倒産で絶版となっていました。
ところが、小学館から廉価な文庫本として復刻、発刊されました。
パール判事の言葉として、以下のようなものがあります。
「私は真実を真実と認め、正しき法を適用したにすぎない」。
著者が晩年に読売新聞への連載を編集・公刊したものです。連載回数は51回だそうです。
そしてなんといっても東條英機の主席弁護人だったという立場で描くこの東京裁判についての著作は、ほかにはない重みがあります。
太平洋戦争開戦時の首相であり、戦後は東京裁判でA級戦犯として絞首刑になった東条英機。
「カミソリ」の異名をとる能吏であり、日本陸軍の一軍人として、何より天皇の忠実な臣下として、自らを任じていた東条は、歴史の表舞台に立たされるや、日米開戦の道を突き進んでいった。
松田十刻さんが描く、東條英機。