大東亜会議を企画し、世界を独立に向けた日本。その日本の舵取りは、間違いなく東條英機が行いました。
天皇第一の臣下を自負し、責任を取ってA級戦犯として裁かれました。
しかし、意図的に隠された事実が多々あります。東條英機の孫、東條由布子はそれをすべて明らかにします!
東條由布子トップページ | 東條由布子が行っている遺骨回収について
日本は戦後、経済成長し平和の受益を享受しています。もう戦争のこと忘れ たいという人がいます。しかし、日本を支えてきた英霊たちを忘れ、慰霊をおろ そかにしてよいものでしょうか?
現在まだなお、南洋の島々には先の大戦で戦死した多くの旧日本兵の遺骨が そのままになっていることを、みなさんはご存知でしょうか?
映画になった硫黄島は、今は日本領土ですが、それでも立ち入ることもでき ずそのままになっています。
国家の機関として『遺骨収集基金』を設置し、常時、長期間、動けるチーム を作るべきです。
南洋の島々には日本将兵の遺骨を現地の人々や、アメリカのチームが収集し てくれています。116万柱の遺骨が放置されている限り、遺骨収集を中止しては 英霊との約東を反故にすることになります。
私は、NPO活動で、現地の方々とアメリカのチームと一緒に遺骨収集に取り 組んで来ましたが、まだまだ人手不足であり、まだまだたくさんの遺骨が放置さ れたままです。
国家を守るために殉じた人をちゃんと慰霊するのは国家が本来取り組むべき ことです。
ここでは、私のやってきた遺骨収集活動の一面を紹介します。
果てしなく広がる空も雲も海辺に建つ家々も鶏も椰子の林も、すべてを真紅に染めて暮れてゆくパラオの浜辺に停んで私たちは亡き英霊(ひとびと)を偲んだ。この南浜の蒼い海の底に、異国の荒野に、洞窟にいまだ百二十万柱の遺骨が放置されたままである。
静まりかえった青い海の水平線に棚引く銀色の雲、そして日本の秋を思わせるような鰯雲、また木々の梢から時おり聞こえてくる蝉の声、どれもこれもが私たちには悲しく映り、また、寂しい思いが込み上げてくるのは何故でしょうか?
60年経った今なお撃沈されたアリゾナ号からオイルが浮かび上がってくるという説明を聞きながら、藍色の海の底深く眠りつづける若き軍人たちの涙かも知れないと思った。平成11年春、私はシアトルの大学に入学する娘を送る途中、アリゾナ記念館に献花のため立ち寄った。記念館長の計らいで献花の時刻には一般の人々は遠ざけられ、SPを配置したという事を後で聞き濃やかな配慮に感謝した。
パラオ・ペリリュー島での日米両国の遺骨収集の旅が迫った夏の日の午後、厚生省援護局の遺骨収集の担当課長に会いにいった。「南方諸島の遺骨収集は終わったのに、何を今さら」という迷惑に近い消極的な態度だった。しかし私たちは計画通り遺骨収集の旅に出た。
東條の祖父が遺書の中に残した「敵、味方を問わぬ、全ての戦争犠牲者の慰霊祭を行われたし、それを世界平和の礎にして欲しい」という言葉が甦り、今日のこの状景がまさしく祖父が願って止まぬ姿なのではなかろうとかと、改めて祖父の辛い心を思った。
アメリカからは、先輩がたと共に戦った海兵隊の勇士たちが、日本からはミッドウェー海戦で沈みゆく航空母艦と運命を共にし、今なお日米両国より勇猛果敢な提督と称えられている方のご子息も、また父上をペリリュー戦で亡くされた両国の遺児たちもこの慰霊祭に参列されています。皆さま、それぞれに、どんな思いでこの慰霊祭を見つめておられることでしょう。
ペリリュー島の民宿に旅装を解いた翌日から、米国の元軍人たちの案内で遺骨収集が始まった。鬱蒼と生い茂る密林の中では、隊列が長いと最後尾にいる団員を見失う。列の最後には逞しい男性がつき、弱い団員を引っ張り上げ、落ちそうな体を支えてくれる。最後尾の団員の腰につけた守り鐘の澄んだ響きが全ての団員の安全を知らせてくれる。その優しい響きに耳を傾けながら、大木に絡まる蔦を命綱に険しい大山によじ登る。