大東亜会議を企画し、世界を独立に向けた日本。その日本の舵取りは、間違いなく東條英機が行いました。
天皇第一の臣下を自負し、責任を取ってA級戦犯として裁かれました。
しかし、意図的に隠された事実が多々あります。東條英機の孫、東條由布子はそれをすべて明らかにします!
東條由布子トップページ | 東條由布子を応援する各界からのメッセージ
パラオ MELKOK STATE(マルキョク新首都) PARAMOUNT CHIEF HEAD OF STATE OF MELEKOK(首長) REKLAI,RAPHAEL B.NGIRMANG 様よりのメッセージ
パラオ NGERODK自然保護区の管理推進NPO BELAU CARES INC(ベラウ ケアーズ)代表 BELHAIM SAKUMA 様よりのメッセージ
冨士信夫さんは、戦後、復員省の大臣官房臨時調査部で東京裁判の傍聴を任務とする「法廷係」に任命され、四百回以上におよぶ裁判のほとんどを見守り続けた。東條由布子氏が縁あって会ったのは、それから五十年後のことである。
その結果、昭和二十一年五月三日の開廷から同二十三年十一月十二日の閉廷まで、四二三回の公判を重ねた東京裁判公判廷での審理の大部分(十回位は種々の事情で傍聴出来なかった)を「法廷係」として傍聴するという貴重な体験を得、法廷内二階の傍聴人席から、開廷第一日目の午後、大川周明被告が前席の東條英樹被告の頭を平手でピシャリとひっぱたいたシーン、証人席に坐った東条英機被告とキーナン首席検察官との息詰まるような諮問証言シーンを始め、毎日の法廷内の動きを眺めており、裁判終了後、昭和六十三年八月と九月に講談社から、講談社学術文庫として「私の見た東京裁判」(上)と(下)を出版しているが、私のことを東條由布子さんに御紹介下さった方は、この辺の事情を承知しておられたので、東條さんに私を紹介して下さったのであろう。